『証』不純な動機から、受洗へ Part2(中退)
□中退
純度100%の田舎で育ったわたしにとって、東京から叔父叔母、従姉妹が遊びに来ることが、子ども時代、最も嬉しかったイベントだった。
今の情報社会とは違い、まともな情報源がテレビのみで、何も知らなかったわたしにとって、お洒落で、楽しいことをたくさん知っていて、都会を身に纏った夢のような人たちだった。
そんな叔父叔母、従姉妹達が帰る日には、そして帰った日から一週間は、わたしは魂が抜けて何もする気にならなかったほど。
わたしにとって東京は、憧れ。
叔父さん叔母さんが大好きで、歳の離れた従姉妹たちも大好きで、人がたくさんいて、知らない文化、食べ物、映画、ゲームソフト、発見ばかりだったから。そんな東京が大好きだった。
そして、山も、森も、田んぼも、まるで興味がなかったから。
念願の上京。
正直大学がどうこうよりも、わたしは何より東京に住めることに大いに期待していた。
ろくに勉強もしなかったが、成績は人並みにあったから、大学は適当に推薦をもらって楽に入ったところで、思い入れも何も、特になかった。
そんな大学は、なんだかんだで、初めのうちは楽しかった思い出がある。
しかしながら、クラス制であり、高校の延長のような生活は少し煩わしく感じることがありました。
2年生になり、クラスが変わった。
それまでなんとなくつるんでいたメンバーと離れることになった。
わたしは新しいクラスにあまり馴染めなかった。
他の皆は、それぞれが1年生の時の仲の良いグループのまま、上がったクラスだったのだ。
わたしは、そんな既にカラーの確立したようなクラスに、居場所を感じられずにいた。
それは屈辱的な日々だった。
あの時は、学校の理解できないクラス替えの方式を恨んだものだ。
そんな中で、学校にいきたくない病にかかりそうになっていたちょうどその頃、部活で仲の良かった先輩が大学を辞めた。
きけば、通信の学科に通いながら大学を卒業するという方法を選んだことを知った。
わたしはそれをきいて、期待してしまった。
そうして、わたしは決めた。
決めるのに、そう時間はかからなかったと思う。
通信制で単位を揃え、卒業を目指すことにした。
そして、自分で働き、生きてみようと決めた。
誰に相談するわけでもなく、速やかに退学手続きした。
「ああ、この1年間のことはもう全部捨てよう、別にいいや」
それでも友人からの連絡には、胸が痛んだ覚えがある。
そして相談もなしに早々と手続きを済ませ退学し、友達を捨てようとした史上最低最悪なこんなわたしに、それでも付き合いを約束してくれた友と呼べる人たちには本当に感動したし、申し訳なさ故に涙した覚えがある。
それでも、そんな感動的な話もちっぽけなくらいに、わたしは、開放感でいっぱいだった。
人生で初めて自由を、この時感じられた。
親、部活、学校、全ての、縛りからの解放。
それは新鮮で、清々しい体験であったと、その感覚は今でもはっきりと覚えている。
Part3へ続く
who are you