『証』不純な動機から、受洗へ Part1(少年時代)
○これは、自分のことが大嫌いだったわたしが、心から神様を求め、共に歩みたいと思うに至るまでの記録です。
正直晒したくもない醜い自分ですが、ありのまま描きたいと思います。
とても長いので、読みやすいようにPartに分けて書いていきます🙂
□少年時代
のんびりとした村に生まれたわたし。
父と母、兄と弟、祖父母、どこにでもあるようなごく一般家庭に生まれた。
小・中学生の時は、楽しかった。
同級生、特に先輩方、また先生方とも仲が良く、周りから慕われていることに優越感をもっていたと思う。
中学では、先輩達に背中をおしてもらい、特にやる気はなかったが、生徒会長をつとめた。
また、勝率は悪かったけども、野球部ではピッチャーとして、エースナンバーをもらった。
学校生活では、年上のやんちゃでかっこいい先輩グループに可愛がってもらえ、その影に隠れては楽しんでいた。
思い返せば、わたしは、自分が同学年でいえば、1番だと、高ぶっていたのだ。
そんなわたしが、環境の変化に伴い、思いがけない価値観の変容、そして世の中に生きずらさを感じていくことになる。
それは、それまで心地よかった村での生活を出て、人の多く集まる高校、そして大学にて数多くの人と出会っていく中でうまれたものであった。
わたしは、気づけば他人と比べてばかりいた。
いざ村を飛び出せば、わたしよりも優れていると感じる人たちはたくさんいた。それは、学業、境遇、スポーツ、友人関係、その他いろいろあったと思う。
「中学の友達の〇〇がすごくてさ」「県大会まで行ったよ」
当時、他人が、自分よりも多くをもっていて、幸せそうなのを見るのが嫌だった。
自分よりも幸せそうな人を見ると、ひどく、羨ましいと感じてしまい、悲しくなってくる。
気づけば、そんな思いになりたくないが為に、人間関係を狭め、逃げるように自分が心地良いと思える場所ばかりを選んで生きてきた。
当時、そんな自分には、気付いてもいなかったが。
この時、自分の将来のことなんて、これっぽっちも考えず、ただ明日が楽しければ良いや、なんて、投げやりにも近い、適当に日々を送っていたと思う。
これが、自分の人生に疑問を持ちはじめ、自分について少し考え、意識するようになった、高校生のときのわたし。
Who are you